カール・レオンハルト・ラインホルトとは?

カール・レオンハルト・ラインホルト(Karl Leonhard Reinhold, 1757年10月26日 - 1823年4月10日)は、オーストリアで生まれドイツで活躍した哲学者である。当時、あまり受け入れられていなかったカントの哲学の体系化を意識を根源とした表象能力によって行い、これによってカント哲学の独自性をドイツの思想界に一気に普及させた事、またこの体系化という仕事が、カント哲学から、フィヒテからヘーゲルに至るドイツ観念論への道筋を与えたということなどの影響が見られる。思想史の流れからしても重要な橋渡しをした思想家といえる。
ラインホルトは、1757年(1758年生まれというの説も多い)にウィーンで生まれた。イエスズ会などのカトリック系の学校に通い、当初はカトリックの司祭・哲学教師などを勤めていた。1783年にライプチヒに移り、新教徒に改め、フリーメソンの会員になる。この頃の彼は、旺盛していた啓蒙思想の影響や無神論・ヒュームの懐疑論などの影響を受け、伝統的なカトリックからの脱却などをはかっていた。1784年には、ワイマールへ行き、そこで、ドイツの詩人クリストフ・マルティン・ヴィーラント ヴィーラントを知る(後にヴィーラントの養子となる)。ヴィーラントが主宰していた当時ドイツで一番権力のあった文芸雑誌”Der Teutsche Merkur”(ドイツのメルクリウスの意(メルクリウスはギリシア神話のヘルメスのことで、また水星の意味もある)で後に「カント哲学についての書簡」(”Briefe über die Kantische Philosophie”)という名で知られる一連のカント哲学にたいする書簡をこの雑誌に投稿していた。1786年に発刊され、この書簡は、当時あまりの受け入れられていなかったカント哲学に対する解説として受け入れられ、(この時点でいわゆるドイツ観念論の始まりと見てもよい)カント哲学をドイツの思想界に知られることとなる。この書簡の公表で、一躍有名になったラインホルトは1787年にイェナ大学に招聘された。彼は、自身の哲学を何人にも疑い得ない人間の意識の命題(Satz des Bewusstseins)すなわち表象能力においてカント哲学を統一させようとし、いわゆる「根元哲学」(Elementarphilosophie)を打ち立てた。

カール・レオンハルト・ラインホルトの詳細

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